侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

2021-01-01から1年間の記事一覧

今川粛清録 その10

そこで、驚天動地の事件が発生する。 直平・直宗・直盛と嫡流が当主になることで成り立っていた井伊家であるが、直盛には男子ができなかった。そこで、直宗の弟直満の嫡子 亀之丞(のちの井伊直親)を直盛の養嗣子にする話が持ち上がった。ところが、直満と…

今川粛清録 その9

また、直平の娘が今川家に人質として差し出されたのちに義元の側室となり、さらに義元の養妹として今川一族の関口親永に嫁いだという説がある。これも父直平が今川家との和睦に及んで人質として泣く泣く差し出したと見るのか、忠誠を誓うがゆえに自発的に差…

今川粛清録 その8

ならば、力で勝る今川家がいっそのこと井伊家を根絶やしにすればいいのではないかと考えがちだが、そこは古くから土着して遠江北部一円に一族が分布している名族である。ちなみに井伊家には赤佐・奥山・中野・井手・井平・上野・貫名などの分家がある。奥山…

今川粛清録 その7

平成29年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第1話で、その後の井伊家の暗雲を予兆するかのように描かれたのが、井伊直満・直義兄弟の死である。 井伊家は藤原北家、もしくは南家の血筋と伝えられ、平安時代から遠江に土着した家柄である。南北朝時代の延元2…

今川粛清録 その6

実際、義元は沓掛城(愛知県豊明市)から西南方向に向かう途上で戦死することになる。ルートから察するに、鳴海城の南を通過して大高城を目指した可能性が高い一方、西北にあたる名古屋市南区方面を目指していないことも明白である。もし義元が上洛を急ぐな…

今川粛清録 その5

ところが、ここで事態が急転する。 翌年の永禄3年(1560)、これほど見事に今川家の橋頭堡を築いた功労者とも言うべき山口教継・教吉父子が今川義元から出頭を命じられ、駿府にて切腹に追い込まれたのである。先に紹介した戸部政直の例とあまりにも酷似する…

今川粛清録 その4

戸部政直と同地域で、しかも同様の疑いを受けて謎の死を遂げたのが、山口教継・教吉父子である。そもそも山口氏は周防大内氏の一族であり、尾張に土着したとされる。 左馬助教継は教房(尾張桜中村城主)の嫡男として誕生し、織田信秀に仕えた。今川義元相手…

今川粛清録 その3

裏を返せば、信長としては、このような器量人が尾張領内に屹立しているのは甚だ目障りである。父の代は仕えていたのに、自分の代になった途端に今川に奔ったことからしても、信長にとっては不愉快極まりない存在でもある。しかも知略のみならず、目の前を横…

今川粛清録 その2

まず粛清1つ目の例は戸部新左衛門政直である。富部神社(とべじんじゃ)にある戸部城趾碑によれば下記の通りである。 「戸部新左衛門諱政直今川義元之臣也 築城於尾州戸部為人精忠恩私為君家盡力 當時織田信長以不世出之略夙有樹旗於京畿之志而今川氏虎踞東…

今川粛清録 その1

平成29年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を観てふと思ったことがある。 駿河今川家には家臣に謀反の嫌疑が生じると、本人に駿府への出頭を命じ、取り囲んで死に追いやるという独特の粛清方法が幾つかの事例として存在するのである。 これはあくまでも推測…

小牧長久手戦跡 青塚砦(愛知県犬山市)

愛知県犬山市青塚 尾張国の二宮 大縣神社(おおあがたじんじゃ)の祭神 大荒田命(おおあらたのみこと)の墓とされる古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳である。 その墳丘の全長は123メートル、後円部の高さは12メートルの規模を誇り、愛知県では断夫山古墳…

私論「下剋上・下克上」その5

翻って言えば、幕末における討幕運動の核となった長州・土佐・肥前などの雄藩は、関ヶ原合戦直後こそ減封や転封を経験しているが、江戸時代を通じて転封することなく領地との繋がりを育んだ結果、幕末には藩を挙げての兵力動員を実現することになる。 本来、…