2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧
また、関ヶ原合戦で西軍寄りの動きをした蜂須賀家政に至っては、大坂方からの勧誘の使者に対して「無二の関東方」と称して断り、家康にその密書を提出するほどの旗幟鮮明ぶりを見せる。 薩摩の島津家久にしても大野治長から3回にわたって同心を要請されたが…
関ヶ原合戦からわずか3ヶ月後の12月19日、家康は以前に関白を歴任したことのある九条兼孝の関白再任を奏上した。秀吉・秀次と続いた豊臣家の関白職世襲のような雰囲気を打ち消す目的かもしれない。同時に、関ヶ原の勝者 家康が朝廷の任官において発言力を持…
【藤堂高虎】徳川家との血縁はないが、秀吉の生前から家康に接近していたことで、譜代大名に準ずる扱いを受けたのは有名である。秀忠の代になっても徳川家の忠誠は揺るがず、元和5年(1619)、徳川和子入内に関する「およつ御寮人事件」では徳川家の使者とし…