侍を語る記

侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログ

今川粛清録 その1

平成29年NHK大河ドラマおんな城主 直虎」を観てふと思ったことがある。

駿河今川家には家臣に謀反の嫌疑が生じると、本人に駿府への出頭を命じ、取り囲んで死に追いやるという独特の粛清方法が幾つかの事例として存在するのである。

これはあくまでも推測でしかないが、討伐と堂々発表して攻め寄せれば、相手にも軍備を整える時間を与えることになり、下手をすれば長期戦になりかねない。長引けば情報が露見する怖れが生じる。また、幕下から裏切り者が出ないとも限らない。何よりも兵が疲弊する。

その点、何かしらの理由をつけて駿府に出頭を命じれば相手はよほど有効な口実でもない限り断ることはできない。その場合、供回り程度の手勢で向かうはずだから討ち取るのは容易い。また、道中で襲撃した場合は野盗や一揆の仕業と言い繕うこともできる。必要なのは周到な用意と実行時の瞬発力である。永禄元年(1558)、織田信長実弟信成(信行・信勝・達成)を清州城に招き入れて殺害したのも同様の例と言えるだろう。

さらに、こうして疑いのある個人さえ害すれば、残された一族は別の当主を仕立てるなり、自ら事態の沈静化を図るケースが多い。あくまでも一個人が謀反を企図したのであって、家や一族は関係ないという形にして、殊更に忠勤を示すのがパターンである。

そして何よりも、内乱を発生させないことは隣国に付け入る隙を与えずに済む。というのは、当時の駿河今川家を囲む環境に起因する。長年の宿敵である織田家を念頭に置きつつも、背後には甲斐の武田信玄・相模の北条氏康が控えている。甲相駿三国同盟で繋がってはいるものの、隙を見せるのは得策ではない。万が一、領国内で謀反人が挙兵すれば討伐軍を差し向ける大義名分が成立するが、これを見事鎮圧しないと隣国から内政・軍事双方の力量を疑われることにもなりかねない。

今川家は室町時代を通して駿河守護職に補任されているが、同じく守護職とはいえ遠江については侵略・調略などを駆使して手に入れた経緯もあり、国人の掌握にはいささか不安定要素がある。

同じく三河については尾張織田家と隣接している手前、国人の去就はなお複雑である。岡崎城松平家は一貫して今川方であったが、松平一族の中には織田家に心を寄せる者もあった。刈谷の水野家や東三河の戸田家にしても家中の分裂は常だった。

そこで、ここに今川義元・氏真父子による家臣粛清劇を列挙し、その背景と影響を考察したい。

愛知県名古屋市緑区桶狭間 和光山天沢院長福寺 今川義元f:id:shinsaku1234t501:20210314001246j:image