侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

城郭

小牧長久手戦跡 蟹江城 中編(愛知県海部郡蟹江町)

そして、天正12年(1584)小牧・長久手の戦いは双方睨み合いの状態にあった。6月15日、滝川一益・九鬼嘉隆ら羽柴秀吉軍の水軍数十艘3,000の兵が伊勢白子(三重県鈴鹿市白子町)を発し、16日早朝には蟹江沖に姿を見せた。 迎え撃つ織田信雄軍の蟹江城主 佐久…

小牧長久手戦跡 蟹江城 前編(愛知県海部郡蟹江町)

愛知県海部郡蟹江町城1丁目 中先代の乱ののち、南朝に属して足利氏に抵抗を続けていた北条時行が、正平8年・文和2年(1353)に処刑された。その後、次男 平太郎時満の子、平五郎時任が尾張西部に蟹江城を築城したとされる。永享年間(1429〜1440)のことと伝…

小牧長久手戦跡 青塚砦(愛知県犬山市)

愛知県犬山市青塚 尾張国の二宮 大縣神社(おおあがたじんじゃ)の祭神 大荒田命(おおあらたのみこと)の墓とされる古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳である。 その墳丘の全長は123メートル、後円部の高さは12メートルの規模を誇り、愛知県では断夫山古墳…

中条氏館(埼玉県熊谷市)

埼玉県熊谷市上中条 龍智山毘慮遮那寺常光院 中条氏館址長承元年(1132)、武蔵判官こと藤原常光が国司として中条の地に下向し、居住した館址である。 龍智山毘慮遮那寺常光院 藤原常光墓その孫と伝わる家長は源平合戦を経て鎌倉幕府の評定衆にも名を連ね、…

内藤家長と佐貫城(千葉県富津市)

千葉県富津市佐貫 天正18年(1590)の小田原征伐後、徳川家康の江戸お討ち入りにより、内藤弥次右衛門家長が上総天羽郡佐貫2万石で入封した平山城である。 佐貫城址大手口応仁年間(1467〜1469)に武田義広が築城したことに始まったとされ、真里谷武田家・安…

臼井城 後編(千葉県佐倉市)

千葉県佐倉市臼井田 臼井城址公園 こうして、永らく臼井氏の居城だった臼井城は千葉胤富の家臣、原氏の時代を迎える。 しかし、永禄9年(1566)3月20日、上杉輝虎の関東出兵に従う結城晴朝・酒井胤治ら、さらに呼応した里見義堯・里見義弘らの大軍に四方を包…

臼井城 前編(千葉県佐倉市)

千葉県佐倉市臼井田 臼井城址公園 下総臼井城は、千葉常兼の三男 臼井六郎常康の築城とされるが定かではない。 文明10年(1478)12月10日の境根原合戦(千葉県柏市)で太田道灌・千葉自胤らに敗れた千葉孝胤は、臼井俊胤の居城 臼井城に籠城した。 千葉県柏…

多部田城(千葉県千葉市若葉区)

千葉県千葉市若葉区多部田町 城主については定かではないので「千葉実録」など諸説を拾遺して紹介する。鎌倉時代、千葉常胤の四男である多部田四郎こと、大須賀胤信が地頭として在地したことから築城されたと推察される。 宝珠山最福寺 多部田城土塁戦国時代…

小牧長久手戦跡 上末城(愛知県小牧市)

愛知県小牧市上末 国道155号線沿いにある上末城址小牧長久手合戦の関係城砦を地図で俯瞰すると非常に分かりやすい。犬山城から南の小牧市方面に張り出すように展開する羽柴秀吉軍と小牧山城を中心とした織田信雄・徳川家康軍が犬山城に向けて備える。 上末城…

宍戸城(茨城県笠間市)

宍戸城は鎌倉・安土桃山・江戸に大きな転機を迎える。 宇都宮宗綱の四男である八田知家が、源義朝の没落と頼朝・頼家の幕府体制に歴仕する中で常陸守護職に任じられる。 笠間市平町 新善光寺址(中央右 八田知家墓、左 宍戸家政墓)長男の知重こと常陸小田氏…

小牧長久手戦跡 宮後城 後編(愛知県江南市)

江南市前飛保寺町 日輪山曼荼羅寺 蜂須賀家政公顕彰碑幼少期の家政が市内にある曼荼羅寺の塔頭 梅養軒(現 本誓院)で昌運上人を師と仰いで学問修業をおこなった縁、また寛永9年(1632)に御所紫宸殿を模して曼陀羅寺正堂(本堂)を再建したこともあり、写真…

小牧長久手戦跡 宮後城 前編(愛知県江南市)

愛知県江南市宮後町八幡・上河原 江南市宮後町八幡 宮後城跡碑 「武功夜話」によれば、文和年間(1352〜1355)に美濃土岐氏の目代として安井小次郎(甲斐逸見氏庶流という)が居住したことから安井屋敷と紹介されているが、ともかくも応永年間(1394〜1428)…

松野氏館(埼玉県さいたま市見沼区)

埼玉県さいたま市見沼区御蔵大ヶ谷戸 鎌倉公園 宇都宮氏の支族で、武蔵に移住した松野助信がこの地に館を構えて太田道灌に仕える。(松野氏館) 松野氏館跡案内板子の助正は太田氏房の家臣として小田原征伐で浪人となるが、ほどなく徳川家康の旗本になる。子…

長者山城(茨城県水戸市)

茨城県水戸市渡里町 一盛長者伝説地碑 石碑側面に刻まれている説明や伝説を調べる限り、永保3年(1083)、陸奥守に叙任されて後三年の役が勃発した任地に向かう源義家が10万余の大軍を率いて当地に立ち寄り、一盛長者なる主人より歓待を受けた。後三年の役終…

赤坂見附(東京都千代田区)

東京都千代田区紀尾井町 赤坂見附御門石垣寛永13年(1636)、62の大名家に石垣、58の大名家に堀を担当させる形で飯田橋・四谷・赤坂・溜池の江戸城外堀普請がおこなわれた。 赤坂見附御門石垣寛永9年(1632)、栗山利章の訴えに端を発した筑前黒田騒動で改易…

野口館址(岐阜県各務原市)

岐阜県各務原市蘇原野口町 安積家(個人宅) 野口館址土塁とにかくネットなどを駆使しても、この館の歴史は分からない。 野口館址空堀一部では中世の土豪の居館という説があるが、史料等に基づくものではないようだ。 野口館址土塁さらなる不思議はその居館…

前林城(千葉県成田市)

千葉県成田市前林字城山 妙見神社までの道筋には民家も点在するが、周辺の道はかなり狭い。妙見神社の鳥居が目印となり、その鎮座する場所も曲輪と言える。鳥居前の道を下りていく切通しのような鬱蒼とした道筋の左右には土塁や堀址と思われる竹林が残る。 …

万喜城(千葉県いすみ市)

千葉県いすみ市万木字城山 万木城跡公園 万喜城遠望山麓にある機岳山海雄寺(左が土岐為頼墓、右が万木土岐家代々供養塔)万木土岐氏の系図には複数の説がある。 まずは頼元の子を為頼とする説を紹介する。海雄寺の墓誌を実際に確認する限り、初代城主とされ…

真武根陣屋(千葉県木更津市)

千葉県木更津市請西 真武根陣屋址碑真武根陣屋こと請西藩陣屋は幕末好きにはおなじみの場所である。 信濃守護である小笠原清宗の子、林光政は足利持氏に仕えたのち、林郷(長野県松本市里山辺)で隠棲していた頃に松平有親・親氏と出会った縁で三河野田に移…

和田城 後編(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 土塁は幼稚園の園舎に沿って続く。土塁上部下に降りてみても、その高さは明らかに2mを超すだろう。幼稚園敷地内から見た土塁さらに、幼稚園の裏の住宅地から見ると、随分と高い垣根にしか見えない。実は、幼稚園の内と外では…

和田城 前編(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 幼稚園敷地内にある土塁ネット検索しても十中八九、「遺構は消滅」とされているが、ある1件のサイトだけが写真入りでこの遺構を紹介していた。場所はわだ幼稚園の敷地内、園舎の裏にある土塁である。 幼稚園入口付近から見た…

金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)

千葉県松戸市常盤平陣屋前 金ヶ作陣屋跡碑慶長19年(1614)に綿貫政家が家康より野馬奉行を拝命し世襲していることから、江戸初期に小金牧の原型が存在したことは明らかである。江戸にほど近い地域における馬の生産地として、幕府が直轄してきた歴史がある。…

越ヶ谷御殿(埼玉県越谷市)

埼玉県越谷市御殿町 元荒川に面した越ヶ谷御殿跡碑「徳川実記 」慶長九年是年の条に記述がある。 「又埼玉郡增林村の御離館を越谷驛にうつされ、濱野藤右衞門某に勤番を仰付らる。(この御殿は明暦三年の災後江戸城に移されかりやに用らる。今も御殿跡といふ…

小牧長久手戦跡 羽黒城(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒城屋敷 羽黒城跡説明板興禅寺裏手に隣接して羽黒城址がある。 昔は民家の路地から竹藪となっている土饅頭に分け入り、蜘蛛の巣を掻き分けて鬱蒼とした頂上に着くと、城址碑を撮影するにはフラッシュ撮影が絶対だったが、写真の通り、今はか…

興禅寺(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒城屋敷 妙國山興禅寺 興禅寺山門脇にある開基梶原景時公碑鎌倉幕府の功臣、梶原景時を開基とする興禅寺には景時夫妻の供養塔、梶原氏一族の墓、その子孫で織田信長家臣となった景義(景久)と東条松平忠吉付家老として犬山城主になった小笠…

嵯峨源氏と箕田館(埼玉県鴻巣市)

埼玉県鴻巣市箕田 氷川八幡社 箕田碑 嵯峨天皇の第十二皇子、源融は陽成天皇・光孝天皇に仕え、左大臣を歴任した嵯峨源氏融流の初代である。その次男の源昇も大納言となる。昇の次男の源仕が武蔵国司として赴任したのが当地である。(箕田源氏初代)この仕の…

木田余城 後編(茨城県土浦市)

茨城県土浦市木田余 信太範宗墓案内板信太範宗・正室・嫡男の墓木田余城址と線路を隔てた反対側の住宅地には信太範宗・正室・嫡男紀八の墓(市指定史跡)がある。範宗が殺害された後、正室と嫡男の紀八は自殺したとある。(完) 周辺の土塁と思われる高低差

木田余城 前編(茨城県土浦市)

茨城県土浦市木田余 木田余城跡説明板土浦城の項にもあるように信太氏の滅亡により土浦城の属城となった木田余城は、一時期、小田城を逐われた小田氏治が入城したこともある。天正6年(1578)、佐竹義重により落城の上、廃城となる。 江戸時代の土浦城主朽木…

土浦城 その5(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城本丸跡碑本丸は太鼓櫓門、東櫓、霞門、西櫓などで囲まれ、周囲に内堀が巡らされている。 霞門(現存)土浦城西櫓脇にある土屋神社(藩主土屋氏の氏神)内堀(北側)内堀(西側)慶長7年(1602)5月17日、佐竹義宣(水戸…

土浦城 その4(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城東櫓土浦城東櫓 西尾忠照が建てたが、復元され現在に至る。