侍を語る記

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歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

豊臣家臣団 その23

例えば、慶長19年(1614)、方広寺鐘銘事件が発生すると、釈明のため駿府に派遣された且元は家康に拝謁を許されず、後から派遣された大蔵卿が家康に歓待されたという有名なエピソードがある。ここだけ見ると、且元が交渉相手として軽く見られ、大蔵卿のほう…

豊臣家臣団 その22

さらには、豊臣家にあってもその踏み絵を踏んだ人物が2人いる。 徳川家の傘の下で豊臣家を存続すべく奔走し続けた片桐且元は、大坂方から裏切者として命を狙われた挙句、幕府軍に加わった。大坂冬の陣では三浦按針経由で幕府が入手した最新鋭の英国製カルバ…

豊臣家臣団 その21

唯一、馳せ参じた豊臣恩顧の動きを紹介するならば、増田長盛・盛次父子と言えるかもしれない。 愛知県稲沢市増田南町 八幡社 増田長盛邸址碑関ヶ原合戦において西軍に属したため、増田家は改易となり、長盛は高野山での蟄居を経て武蔵岩槻に配流、長男で庶子…