侍を語る記

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史跡と人物をリンクさせるブログ

今川粛清録 その7

平成29年NHK大河ドラマおんな城主 直虎」の第1話で、その後の井伊家の暗雲を予兆するかのように描かれたのが、井伊直満・直義兄弟の死である。

井伊家は藤原北家、もしくは南家の血筋と伝えられ、平安時代から遠江に土着した家柄である。南北朝時代の延元2年(1337)、当主井伊行直が南朝方に属して北朝方の今川範国と三方ヶ原で戦ったのが、そもそもの因縁の始まりとされる。折しも、伊勢大湊(三重県伊勢市)から陸奥国府(福島県伊達市)へ向かう途中で漂着した宗良親王後醍醐天皇皇子)を井伊谷城に迎えたが、暦応3年(1340)には北朝方の高師泰仁木義長らの攻撃を受けて三岳城・大平城が落城するに及んで降伏する。また、応安4年(1371)には今川貞世のもとで九州に従軍していることから、この頃までには今川家に属していたことが窺える。

静岡県浜松市引佐町井伊谷 井伊谷宮 宗良親王f:id:shinsaku1234t501:20190812201719j:imageその後、応永12年(1405)に斯波義重が遠江守護職に任じられると、井伊家はこれに臣属する。しかし、今川家からすれば範氏・範国・貞世・仲秋・泰範と代々世襲してきた遠江守護職を奪われ、以降斯波氏が世襲していることは我慢ならない。

永正10年(1513)、井伊家当主の直平は当時の遠江守護職にあった斯波義達を奉じて、駿河守護職今川氏親と戦って大敗を喫した。これを機に今川家の侵攻が強まり、永正14年(1517)に斯波義達が追放されるに及んで、直平は今川家に帰属する。

井伊家が単純に仁木・今川・斯波と一貫して代々の遠江守護職に仕えてきただけとも言えるのだが、こと今川家については南北朝に分かれて敵対した過去を持ち、斯波氏の被官として今川家と戦った気まずい過去もある。今川家からすれば、心から信頼できない、いや許し難い存在だったかもしれない。一方、平安時代から遠江に根を下ろしてきた井伊家からすれば、南北朝争乱の功により乗り込んできた新参の今川家は不愉快な存在だった可能性がある。

そんな経緯を踏まえて、井伊直平重臣の小野兵庫助重正に今川家への取次役を命じるが、おそらく頻繁なやり取りの中で重正が逆に今川家の意向を井伊家に伝える立場となったようである。井伊家を利するために今川家に出入りしていたはずが、今川家のために井伊家を軌道修正し、時には監視することもあったと考えられる。この小野家が絡むことで、今川家と井伊家の力関係がより一層ややこしくなったのは事実である。

静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字城山 井伊谷城f:id:shinsaku1234t501:20210915032748j:image