2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧
ここで、江戸初期における諸大名と徳川家の関係を列記する。 【福島正則】慶長4年(1599)、養子の正之が家康養女(久松松平康元女)を娶る。また、正則自身も慶長9年(1604)、継室として家康養女(牧野康成女)を娶る。豊臣姓を名乗り、慶長16年(1611)、…
本戦において西軍の有力大名である毛利・島津・長宗我部らがほぼ動かず、宇喜多秀家や三成・大谷・小西らが奮戦したのに対し、東軍の主戦力も福島・浅野・黒田・長岡・藤堂など豊臣恩顧の武断派であった。西軍の三成ら文治派を制したのは、東軍に属した武断…
ともかくも、秀秋の参戦にさらなる勢いをつけたのが、松尾山麓に布陣していた脇坂安治である。本来は家康に従って会津上杉討伐に出陣するところを三成に阻まれてやむを得ず西軍に属した脇坂は、当初から山岡景友を通じて家康に弁明し、藤堂高虎を窓口として…