侍を語る記
ところが、ここで事態が急転する。 翌年の永禄3年(1560)、これほど見事に今川家の橋頭堡を築いた功労者とも言うべき山口教継・教吉父子が今川義元から出頭を命じられ、駿府にて切腹に追い込まれたのである。先に紹介した戸部政直の例とあまりにも酷似する…
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