侍を語る記
しかし、翌年に足利直義が急死すると、尊氏は南朝に背き鎌倉を地盤に東国平定を図る。南朝勢力として新田義興(新田義貞次男)・新田義宗(新田義貞三男)らと共闘する時行は、武蔵小手指原で足利基氏(足利尊氏四男)と激突した。思えば、新田義貞の鎌倉攻…
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