侍を語る記

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歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

今川粛清録 その3

裏を返せば、信長としては、このような器量人が尾張領内に屹立しているのは甚だ目障りである。父の代は仕えていたのに、自分の代になった途端に今川に奔ったことからしても、信長にとっては不愉快極まりない存在でもある。しかも知略のみならず、目の前を横切る者を一刀の元に切り捨てるほどの剛の者でもある。ここは力攻めするよりも一計を案じる。

まず右筆に命じて数年に亘って政直の筆跡を学ばせ、のち信長に内通する旨の書状を偽造したのである。それを鍔商人に扮した森可成駿府に運び、今川義元が入手するよう仕組んだとされる。この密書を見た義元は案の定、政直の直筆と信じるあまり内通を真実と受け取った。

こうして、政直は駿府への出頭命令を受けて向かう途中、三河吉田(愛知県豊橋市)付近にて処刑されるのである。駿府に辿り着くまでもなく問答無用で処刑されるあたり、義元の怒りのほどが窺い知れる。弘治3年(1557)5月1日のことと伝わる。

これによって戸部城は廃城となり、その3年後におこなわれる桶狭間合戦で信長の視界に残るのが大高城と鳴海城のみになるのは、偶然とはいえ戦略上重要なことである。

愛知県豊橋市柱九番町 橋良共同墓地 戸部政直墓f:id:shinsaku1234t501:20200330201711j:imageなお、同じ名古屋市南区にある丹八山公園の碑によれば赤松円心を祖とするが、その出自は定かではない。

愛知県名古屋市南区笠寺町迫間 丹八山公園 笠寺城主戸部新左衛門政直公碑f:id:shinsaku1234t501:20200330201737j:imageまた、「蜂須賀小六」や「前田利家」・「服部半蔵」などの名著で知られる作家 戸部新十郎氏(故人)は子孫である。さらに、漫画家の尼子騒兵衛氏は政直の子孫と友人関係にあることから「忍たま乱太郎」に戸部新左エ門なるキャラクターを登場させている。f:id:shinsaku1234t501:20230226102149p:image