侍を語る記
これは高杉の最も怖れるところであった。というのは、奇兵隊結成から3ヶ月後の文久3年(1863)8月16日、奇兵隊と先鋒隊(のちの撰鋒隊)の間で小規模な武力衝突(教法寺事件)が発生したことで、高杉は監督責任を感じて切腹を申し出た。その結果、結成わずか…
ここで問題だが、自身の生き様としては誇り高き武士に固執し、妻にも「士之女房」の教養を押し付けるほどの彼が、一方では武士以外の身分層に期待するような軍隊を結成したというのはどうにも矛盾しているのである。後年、怒りのあまり赤禰武人(奇兵隊三代…
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