侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

2020-01-01から1年間の記事一覧

私論「下剋上・下克上」その4

せっかくだから、江戸幕府を開いた徳川家康を源頼朝・足利尊氏らと比較してみたい。 確かに、三河における松平氏はそこそこ有力な家柄とは言えるが、その出自も明らかではなく、所詮は土豪の集合体における盟主程度であった。さらに今川家を奉ずる勢力と織田…

私論「下剋上・下克上」その3

南北朝時代の政情不安の中で成立した室町幕府は、成立当初から守護大名の圧力を受け続けた。強烈なまでの独裁で君臨した3代将軍の足利義満がいる一方で、6代将軍の足利義教・管領にして「半将軍」の名を恣にした細川政元でさえ「下剋上・下克上」に斃れた。…

私論「下剋上・下克上」その2

⚫️平清盛や後醍醐天皇のように自身が政治をおこなうスタイルではなく、側近による政治機構を確立した。頼朝を始め鎌倉将軍家による独裁が思うように許されなかった反面、ブレーンによる権力掌握が活発化したと言える。有力御家人による合議制と言えば聞こえ…

私論「下剋上・下克上」その1

以下は「広辞苑」の記載内容である。 げ‐こく‐じょう【下剋上・下克上】 (「下、上に剋かつ」の意)下位の者が、上位の者の地位や権力をおかすこと。南北朝時代からの下層階級台頭の社会風潮をいい、室町中期から戦国時代にかけて特に激しくなった。太平記2…

中条氏館(埼玉県熊谷市)

埼玉県熊谷市上中条 龍智山毘慮遮那寺常光院 中条氏館址長承元年(1132)、武蔵判官こと藤原常光が国司として中条の地に下向し、居住した館址である。 龍智山毘慮遮那寺常光院 藤原常光墓その孫と伝わる家長は源平合戦を経て鎌倉幕府の評定衆にも名を連ね、…

小牧長久手戦跡 草井の渡し(愛知県江南市)

愛知県江南市草井 承久3年(1221)、承久の乱に際して鎌倉幕府軍が尾張から美濃に侵攻した。この時、北条泰時率いる幕府軍は尾張国一宮こと真清田神社(愛知県一宮市真清田)に布陣する。 6月6日、北条時氏・有時ら率いる幕府軍は尾張草井の渡しから木曽川対…

高杉の矛盾を投影した奇兵隊 その8

歴史愛好家の中には、「明治2年の段階で高杉が生きていれば脱隊騒動の展開は違っていたのでは」と考える向きもあるとは思うが、果たして西南戦争における西郷隆盛の如く諸隊に与したかどうかは疑問である。確かに高杉が奇兵隊を創ったとは言えるが、彼自身が…