侍を語る記

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歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

土浦城 その5(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園

土浦城本丸跡碑f:id:shinsaku1234t501:20170226035125j:image本丸は太鼓櫓門、東櫓、霞門、西櫓などで囲まれ、周囲に内堀が巡らされている。

霞門(現存)f:id:shinsaku1234t501:20170226035240j:image土浦城西櫓脇にある土屋神社(藩主土屋氏の氏神f:id:shinsaku1234t501:20170226035404j:image内堀(北側)f:id:shinsaku1234t501:20170226041030j:image内堀(西側)f:id:shinsaku1234t501:20170226041156j:image慶長7年(1602)5月17日、佐竹義宣水戸城主)は徳川家康より出羽秋田郡への転封を命じられ、同年9月17日、秋田の土崎湊城(秋田県秋田市)に入城した。

その直後の水戸城には徳川家康の五男、武田松平信吉が25万石で入城し、その没後には家康の十男にして当時2歳の長福丸(のちの紀伊徳川頼宣)が20万石で入封する。しかし、長福丸自身は駿府城の家康の元で養育され、水戸城には入らなかった。

こうした経緯から考えるに、土浦城の歴史的意義は、下総古河城主 結城秀康の属城にして、関ヶ原合戦前後の水戸城 佐竹義宣に対する牽制の役目にあったと思われる。(完)f:id:shinsaku1234t501:20230322101000p:image