土浦城本丸跡碑本丸は太鼓櫓門、東櫓、霞門、西櫓などで囲まれ、周囲に内堀が巡らされている。
霞門(現存)土浦城西櫓脇にある土屋神社(藩主土屋氏の氏神)内堀(北側)内堀(西側)慶長7年(1602)5月17日、佐竹義宣(水戸城主)は徳川家康より出羽秋田郡への転封を命じられ、同年9月17日、秋田の土崎湊城(秋田県秋田市)に入城した。
その直後の水戸城には徳川家康の五男、武田松平信吉が25万石で入城し、その没後には家康の十男にして当時2歳の長福丸(のちの紀伊徳川頼宣)が20万石で入封する。しかし、長福丸自身は駿府城の家康の元で養育され、水戸城には入らなかった。
こうした経緯から考えるに、土浦城の歴史的意義は、下総古河城主 結城秀康の属城にして、関ヶ原合戦前後の水戸城 佐竹義宣に対する牽制の役目にあったと思われる。(完)