侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

豊臣家臣団 その5

また、家康の密命を受けた柳生宗矩が、同じ大和出身の嶋清興(石田三成家臣)を調略すべく訪問した時の会話も「常山紀談」に所収されている。嶋左近は三成について語った。 「然るに去年より度々仕課すべき圖を空しく外し給ふ事多し。既に時を失ひぬ。能々世…

豊臣家臣団 その4

「総ての堀を埋めて裸城にすれば、大坂城は落城する」と、生前の秀吉が家康ら諸大名に語った逸話がある。確かに、後年その通りになるのだが、まるで自分の死後、誰も大坂城を落城に追い込むとは思っていなかったような言い回しである。もはや天下が覆るはず…

豊臣家臣団 その3

長年、羽柴家の外交面を主に務めた蜂須賀家は正勝没後、嫡男家政の代になると阿波徳島の一大名となり、軍師の黒田孝高も豊後中津の一大名に収まり、さらに名補佐役として名高い大納言秀長が病没、前野長康や木村重茲・明石則実・渡瀬繁詮らに至っては秀次事…

豊臣家臣団 その2

さらに、積極的に仕掛けていった引き抜きや改易した大名家旧臣の直臣化により、下記の家臣を得た。 【斎藤龍興旧臣】加藤光泰 【明智光秀旧臣】木村吉清・平塚為広 【柴田勝豊旧臣】小川祐忠 【丹羽長秀旧臣】長束正家・桑山重晴・太田牛一・戸田勝成・上田…

豊臣家臣団 その1

織田信長や徳川家康はもちろんのこと、ほとんどの戦国武将には代々仕える譜代家臣が存在した。平時には主家の家政に従事し、戦時には参陣して身を以って忠誠を尽くす存在である。ただ、出自明らかではない木下藤吉郎には当然、生まれもっての家臣はいない。…

小牧長久手戦跡 宮後城 後編(愛知県江南市)

江南市前飛保寺町 日輪山曼荼羅寺 蜂須賀家政公顕彰碑幼少期の家政が市内にある曼荼羅寺の塔頭 梅養軒(現 本誓院)で昌運上人を師と仰いで学問修業をおこなった縁、また寛永9年(1632)に御所紫宸殿を模して曼陀羅寺正堂(本堂)を再建したこともあり、写真…

小牧長久手戦跡 宮後城 前編(愛知県江南市)

愛知県江南市宮後町八幡・上河原 江南市宮後町八幡 宮後城跡碑 「武功夜話」によれば、文和年間(1352〜1355)に美濃土岐氏の目代として安井小次郎(甲斐逸見氏庶流という)が居住したことから安井屋敷と紹介されているが、ともかくも応永年間(1394〜1428)…

甲陽鎮撫隊から新選組へ その3

4月12日、江戸に潜行していた内藤・島田らは下総国府台(千葉県市川市)において旧幕府陸軍の大鳥圭介と合流し、宇都宮などに転戦しながら4月29日に会津へ辿り着く。一方、大久保大和という名前で押し通していた近藤だったが、流山から越谷の東山道先鋒総督…

甲陽鎮撫隊から新選組へ その2

半月ほどの五兵衛新田駐屯中に人数を230名以上に増やしたことで、隊名を下総鎮撫隊と改称したというが、新政府軍が千住宿(東京都足立区)に迫りつつあるとの報に接し、4月1日夜、五兵衛新田を発し、途中、松戸平潟宿(千葉県松戸市)の千檀家で休憩をとり、…

甲陽鎮撫隊から新選組へ その1

新選組が新選組を名乗らなかった時期を語る。 鳥羽伏見の戦いから江戸への東帰と、慶応4年(1868)正月から新選組の立場は驚くほどに転がり始めた。 江戸に帰った新選組は、寛永寺で謹慎中の徳川慶喜を警護していたが、幕臣として大久保剛の名を賜った近藤勇…

石田堤(埼玉県行田市〜鴻巣市)

最初は忍城に力攻めを仕掛けたが撃退され、のち方針を変更して豊臣秀吉を真似た水攻めをしたものの、開城に至らなかった。すなわち、石田三成は戦下手というのが通説だが、資料によると、悉く逆のようである。 埼玉県行田市佐間 さきたま古墳公園に現存する…

意外と体育会系?・・・徳川家康 後編

さらに、家康は弓を取れば竹林派の石堂藤右衛門に師事して免許を取得した。そのおかげなのか、三方ヶ原合戦の敗走中、追いすがる武田兵数人を騎射で仕留めて逃げ切ったという。必死の形相で逃げただけではなく、実際に敵を討ち取りながらの敗走ゆえに、恐怖…

意外と体育会系?・・・徳川家康 前編

平成28年NHK大河ドラマ「真田丸」の序盤、伊賀越えのシーンにおいて内野聖陽氏扮する徳川家康が、滑稽なほどに怖気づいた表情に違和感を感じた。そこで、ネット検索したところ、全く同じ疑問を持った人がいた。 むしろ、家康は同時代の大名の中では武芸に優…

松野氏館(埼玉県さいたま市見沼区)

埼玉県さいたま市見沼区御蔵大ヶ谷戸 鎌倉公園 宇都宮氏の支族で、武蔵に移住した松野助信がこの地に館を構えて太田道灌に仕える。(松野氏館) 松野氏館跡案内板子の助正は太田氏房の家臣として小田原征伐で浪人となるが、ほどなく徳川家康の旗本になる。子…

十九首塚(静岡県掛川市)

静岡県掛川市十九首 十九首塚由来説明板天慶3年(940)2月14日、新皇を称して関東一円に君臨した平将門は、下総猿島の戦いにおいて戦死する。将門を討ち果たした俵藤太こと藤原秀郷は、将門とその家臣の首級を携え上洛の途につく。 そして8月15日、秀郷はこ…

長者山城(茨城県水戸市)

茨城県水戸市渡里町 一盛長者伝説地碑 石碑側面に刻まれている説明や伝説を調べる限り、永保3年(1083)、陸奥守に叙任されて後三年の役が勃発した任地に向かう源義家が10万余の大軍を率いて当地に立ち寄り、一盛長者なる主人より歓待を受けた。後三年の役終…

赤坂見附(東京都千代田区)

東京都千代田区紀尾井町 赤坂見附御門石垣寛永13年(1636)、62の大名家に石垣、58の大名家に堀を担当させる形で飯田橋・四谷・赤坂・溜池の江戸城外堀普請がおこなわれた。 赤坂見附御門石垣寛永9年(1632)、栗山利章の訴えに端を発した筑前黒田騒動で改易…

野口館址(岐阜県各務原市)

岐阜県各務原市蘇原野口町 安積家(個人宅) 野口館址土塁とにかくネットなどを駆使しても、この館の歴史は分からない。 野口館址空堀一部では中世の土豪の居館という説があるが、史料等に基づくものではないようだ。 野口館址土塁さらなる不思議はその居館…

前林城(千葉県成田市)

千葉県成田市前林字城山 妙見神社までの道筋には民家も点在するが、周辺の道はかなり狭い。妙見神社の鳥居が目印となり、その鎮座する場所も曲輪と言える。鳥居前の道を下りていく切通しのような鬱蒼とした道筋の左右には土塁や堀址と思われる竹林が残る。 …

好き・嫌いの先の歴史観

歴史談義をする時に必ずつきまとう人物の好きと嫌い。人間、いちいちの事象に好き嫌いの感情があるのは仕方ないが、歴史を語る上でこれほど話の腰を折る面倒なものはない。 「家康が嫌い!」という言葉をよく聞く。それを聞くたびに「バカバカしい」と内心、…

万喜城(千葉県いすみ市)

千葉県いすみ市万木字城山 万木城跡公園 万喜城遠望山麓にある機岳山海雄寺(左が土岐為頼墓、右が万木土岐家代々供養塔)万木土岐氏の系図には複数の説がある。 まずは頼元の子を為頼とする説を紹介する。海雄寺の墓誌を実際に確認する限り、初代城主とされ…

真武根陣屋(千葉県木更津市)

千葉県木更津市請西 真武根陣屋址碑真武根陣屋こと請西藩陣屋は幕末好きにはおなじみの場所である。 信濃守護である小笠原清宗の子、林光政は足利持氏に仕えたのち、林郷(長野県松本市里山辺)で隠棲していた頃に松平有親・親氏と出会った縁で三河野田に移…

和田城 後編(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 土塁は幼稚園の園舎に沿って続く。土塁上部下に降りてみても、その高さは明らかに2mを超すだろう。幼稚園敷地内から見た土塁さらに、幼稚園の裏の住宅地から見ると、随分と高い垣根にしか見えない。実は、幼稚園の内と外では…

和田城 前編(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 幼稚園敷地内にある土塁ネット検索しても十中八九、「遺構は消滅」とされているが、ある1件のサイトだけが写真入りでこの遺構を紹介していた。場所はわだ幼稚園の敷地内、園舎の裏にある土塁である。 幼稚園入口付近から見た…

金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)

千葉県松戸市常盤平陣屋前 金ヶ作陣屋跡碑慶長19年(1614)に綿貫政家が家康より野馬奉行を拝命し世襲していることから、江戸初期に小金牧の原型が存在したことは明らかである。江戸にほど近い地域における馬の生産地として、幕府が直轄してきた歴史がある。…

浄真寺(茨城県土浦市)

茨城県土浦市立田町3丁目 光照山浄真寺 藤井松平信一供養塔(浄真院弁誉道雄専水大居士)十八松平の一つ、藤井松平家出身である。藤井松平利長の嫡男で一貫して徳川家康の家臣を貫く。ちなみに、家康の祖父清康とは従兄弟にあたるが、年齢的には家康より4歳…

越ヶ谷御殿(埼玉県越谷市)

埼玉県越谷市御殿町 元荒川に面した越ヶ谷御殿跡碑「徳川実記 」慶長九年是年の条に記述がある。 「又埼玉郡增林村の御離館を越谷驛にうつされ、濱野藤右衞門某に勤番を仰付らる。(この御殿は明暦三年の災後江戸城に移されかりやに用らる。今も御殿跡といふ…

小牧長久手戦跡 野呂塚(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒前川原 野呂塚 野呂塚羽黒城址から少し離れた場所に、羽黒八幡林古戦場がある。写真の塚は羽黒小学校や羽黒八幡宮の東にある。 八幡林古戦場と野呂塚説明板天正12年(1584)、犬山城の羽柴秀吉軍と小牧山城の織田信雄・徳川家康連合軍の睨み…

小牧長久手戦跡 羽黒城(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒城屋敷 羽黒城跡説明板興禅寺裏手に隣接して羽黒城址がある。 昔は民家の路地から竹藪となっている土饅頭に分け入り、蜘蛛の巣を掻き分けて鬱蒼とした頂上に着くと、城址碑を撮影するにはフラッシュ撮影が絶対だったが、写真の通り、今はか…

オススメ! その1

自分で読み返しても随分と肩苦しい表現のブログだ!と反省する部分はあるが、閑話休題。 房野史典「笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳 戦国時代」(幻冬舎 刊)を紹介する。 筆者はお笑いコンビ「ブロードキャスト‼︎」のツッコミ担当とのことだが、…