侍を語る記

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豊臣家臣団 その17

ここで、江戸初期における諸大名と徳川家の関係を列記する。

福島正則慶長4年(1599)、養子の正之が家康養女(久松松平康元女)を娶る。また、正則自身も慶長9年(1604)、継室として家康養女(牧野康成女)を娶る。豊臣姓を名乗り、慶長16年(1611)、家康と秀頼の二条城会見を仲介したが、当日は病のため同席はしなかった。

羽柴姓・豊臣姓は賜っているが、松平姓は下賜されていない。但し、次男の正勝は徳川秀忠偏諱を賜り、忠勝と名乗る。

京都府京都市右京区花園妙心寺妙心寺海福院 福島正則f:id:shinsaku1234t501:20201201203942j:image加藤清正慶長4年(1599)、清正は家康養女(水野忠重女)を継室に娶るが、庄内の乱で伊集院忠真を支援していたことが発覚したため、家康から国元での謹慎を命じられる。翌年の上杉征伐への従軍も許されず、関ヶ原合戦直前になって、ようやく九州での東軍加勢を認められる。

慶長8年(1603)、豊臣姓を下賜され、慶長10年(1605)には従五位上侍従兼肥後守に叙任される。

慶長14年(1609)、清正の次女である八十姫と徳川頼将(のちの水戸徳川頼宣)の婚約が成立する。慶長16年(1611)、家康と秀頼の二条城会見を仲介するが、当日は頼将に供奉する形で同席し、会見後も頼将に同道して豊国神社から鳥羽まで秀頼を見送っている。清正没後、嫡男の忠広が幼少にして家督相続したため、幕命により藤堂高虎が後見役を務める。

池田輝政文禄3年(1594)、三河吉田城主だった照政は、秀吉の仲介で家康の次女 督姫を継室に娶る。また、翌年に発生した秀次事件では秀次の妻子・愛妾が処刑される中、妹の若御前が例外的に助命された。慶長12年(1607)に輝政と改名したことが確認されている。羽柴姓・豊臣姓も賜っているが、慶長17年(1612)松平姓を賜り、同年10月17日には正三位参議に叙される。

慶長16年(1611)、家康と秀頼の二条城会見に同席する。長男の利隆は前妻の子だが、徳川秀忠養女(榊原康政女)を正室に迎え、松平姓を賜る。次男の忠継・三男の忠雄・四男の輝澄・五男の輝綱・六男の輝興はいずれも督姫の子で、家康の外孫にあたるため、全員が松平姓を賜る。

愛知県豊橋市今橋町 豊橋公園 吉田城鉄櫓f:id:shinsaku1234t501:20170629203233j:image黒田長政慶長5年(1600)、上杉征伐を前に家康養女(保科正直女)を継室として迎えるにあたり、正室蜂須賀正勝女)を離縁している。これにより、黒田・蜂須賀両家は江戸中期まで不通大名(会釈さえしない)という絶縁状態にあった。

関ヶ原合戦の功により、筑前名島52万3,000石に転封され、福岡城を築城する。また、慶長8年(1603)には、従四位下筑前守に叙任される。

慶長17年(1612)、嫡男の万徳丸は徳川秀忠偏諱を賜り、忠長・忠政・忠之と名乗り、松平姓を下賜される。また、大坂冬の陣で初陣を飾るに際し、家康から金羊歯前立南蛮鉢兜を賜る。

蜂須賀家政・至鎮】家政は加藤清正浅野幸長らとともに石田三成襲撃事件に参加する。慶長5年(1600)、上杉征伐を前に嫡男の至鎮が正室として家康養女(小笠原家政女)を娶る。

しかし、家政は毛利輝元の西軍としての参戦に反対していたため、輝元が大坂城に入ると逼塞を命じられてしまう。その後、阿波国豊臣秀頼に返上する形で剃髪の上、蓬庵と号して高野山光明院に蟄居した。三成は嫌いだが、秀頼への忠誠心から西軍に軍勢を送ったのだが、この兵が関ヶ原合戦に間に合わなかったのが幸いして、そのまま東軍の至鎮に合流したことによって西軍と見なされなかった。

阿波の所領安堵後、至鎮が家督を相続すると、慶長8年(1603)3月25日に豊臣姓を賜り、従四位下阿波守に叙任される。さらに、 慶長20年(1615)1月11日には松平姓を下賜された。

その嫡男の正鎮は徳川秀忠偏諱を賜り、忠鎮、次いで忠英と名乗る。

細川忠興忠興には、家康から借りた金で豊臣秀次に借金を返済できたおかげで、秀次事件に連座しなかった恩がある。また、豊後中津移封時に発生した前城主 黒田長政の年貢持ち逃げ事件を家康に裁定してもらった恩もある。さらに、三男の忠利は関ヶ原合戦直前に徳川家の人質となったが、それが縁で家督相続後に秀忠養女(小笠原秀政次女)を正室に迎えた。

一方、大坂の陣で大坂方に同心した次男 興秋については、一説には家康から赦免の沙汰があったにも関わらず、あくまでも自刃させたという。

羽柴姓・豊臣姓を賜りながら、なぜか松平姓の下賜は辞退している。大坂夏の陣後、家康の命により羽柴姓を捨てて長岡から細川に復姓する。

京都府京都市北区紫野大徳寺町 高桐院 春日灯籠(細川忠興ガラシャ夫妻墓)f:id:shinsaku1234t501:20201201204306j:imagef:id:shinsaku1234t501:20240424090720p:image