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侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログです

真武根陣屋(千葉県木更津市)

千葉県木更津市請西

真武根陣屋址碑f:id:shinsaku1234t501:20170310152508j:image真武根陣屋こと請西藩陣屋は幕末好きにはおなじみの場所である。

信濃守護である小笠原清宗の子、林光政は足利持氏に仕えたのち、林郷(松本市里山辺)で隠棲していた頃に松平有親・親氏と出会った縁で三河野田に移住して松平家に出仕。
7代当主の吉忠は大坂夏の陣に際し、秀忠麾下の大番頭、高木正次隊に属して明石全登との戦闘で戦死。
この武功もあって三河以来の譜代旗本として連綿と続き、忠英の頃には将軍家斉のもとで若年寄に栄進、上総貝淵藩18,000石の大名となる。

嘉永3年(1850)、忠旭が現在地に陣屋を移して上総請西藩となる。
慶応3年(1867)、伏見奉行の忠交が急死すると、嫡男の忠弘が若年であることから甥の忠崇が藩主に就任する。

慶応4年(1868)、江戸を脱出した人見勝太郎・伊庭八郎ら旧幕府遊撃隊に協力を要請された忠崇は陣屋に火を放ち、一部の藩士とともに遊撃隊に参加。
藩主自らが脱藩したことで請西藩は改易となる。

東京都中野区 貞源寺 伊庭八郎墓f:id:shinsaku1234t501:20170310153907j:image真武根陣屋空堀f:id:shinsaku1234t501:20170310152556j:image
その後、徳川宗家存続の報に接した忠崇は仙台で新政府軍に降伏。

昭和12年(1937)に浅野長勲が没すると、生存する最後の大名と呼ばれ、昭和16年(1941)没。

中村彰彦「脱藩大名の戊辰戦争」に詳しい。