侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

演出の忠臣蔵と本音の赤穂事件 その8

その後、世論を巻き込んで湧き上がった旧赤穂家臣への同情論のさなか、佐藤直方(朱子学者)や太宰春台(朱子学者)、荻生徂徠柳沢吉保家臣)らが処罰論を展開したのは有名である。

それらに共通するのは、浅野長矩切腹に処せられた直接の罪状は吉良義央に斬りつけた私怨ではなく、殿中で抜刀のみならず刃傷にまで及んだ不調法にあるとの主張である。なおかつ、浅野に切腹を命じたのが幕府である以上、本来の仇は幕府であるにも関わらず吉良邸を襲撃するのはお門違いと論じた点にある。

但し、処罰を巡っては温度差が見られる。佐藤直方と太宰春台らが浅野長矩や旧赤穂家臣の所業をいささか感情的なまでに全否定したのに比べ、荻生徂徠情状酌量を示しながらも法に基づいた処罰を主張した。下記に示した通り、幕府の体面と上杉家の主張する厳罰論を汲んだ「刑罰」である一方、旧赤穂家臣には侍としての礼としつつ、世論には忠義を不朽とするための「賜死」という二面性を持たせている。批判と同情の議論渦巻く中で、絶妙な落としどころを模索した感がある。

「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」(徂徠擬律書)

東京都港区高輪1丁目 大石良雄外十六人忠烈の跡(肥後熊本細川家高輪下屋敷の庭園で切腹がおこなわれた)f:id:shinsaku1234t501:20190129233119j:image確かに、後世の我々でさえこの切腹を「賜りし武士の名誉」とか「散り際の美」などと膨らませがちだが、実は裁きの末の極刑という側面を忘れてはいけない。実際、彼らの家族までもが連座のため配流された事実から見ても、これは名誉というよりもむしろ刑罰と解釈すべきであろう。

最後に、下の写真は茨城県笠間市の笠間城址にある大石良雄像であるが、当の本人は銅像にしてもらうような人物になるよりも、「昼行灯」のままでいたかったのではないか、と切に思う。(完)

茨城県笠間市笠間 佐白山麓公園 大石良雄f:id:shinsaku1234t501:20181231200211j:imagef:id:shinsaku1234t501:20240223033758p:image