侍を語る記

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歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

武功の兄弟、茶を末代に伝えんとす その4

しかし、これほどの隆盛を極めた上林家も春松家を除いて明治以降は廃業せざるをえない状況に追い込まれた。

その一番の理由は江戸幕府という最大の顧客を失ったことに他ならない。さらに、明治初期には1,300ヘクタールほどあった宇治近辺の茶畑が、平成の頃には80ヘクタールを切るまでに減少しているという。それほどに宇治茶が希少なものになってしまった一方で、生活や嗜好の変化に伴い、流通する茶の種類も多様になってきたのである。現在、日本の市場に流通する茶の中で「宇治茶」の生産量は1パーセントにも満たないという。

しかし、武功の兄弟の精神とともに「宇治茶」を末代に伝える果敢な努力がおこなわれている。

京都府宇治市宇治蓮華 朝日山平等院 上林竹庵政重碑誌f:id:shinsaku1234t501:20190308211720j:image春松家は「上林春松本店」として現在も宇治で製茶業を営み、濃茶「祖母昔」や裏千家御好「嘉辰の昔」など幅広く銘茶を販売する一方で、日本コカ・コーラ株式会社との協働ブランド「綾鷹」を量産展開していることでつとに有名である。この「綾鷹」は江戸幕府滅亡を経て一般市民に向けて販売すべく開発された緑茶に端を発する。宇治平等院参道に直営店・別会社「お茶のかんばやし」などを展開し、荘厳な長屋門を構える「宇治・上林記念館」では歴史上の人物との交流を示す豊富な史料や上林竹庵坐像などを展示している。

また、三入家も大正7年(1918)、田中四郎吉に経営を譲渡して、現在の「三星園 上林三入本店」に至る。抹茶「献上初音」・玉露「最上瑞草亀齢」などの主力商品を揃え、やはり宇治平等院参道に店を構えている。16代目当主はテレビ番組などにも出演する一方、店舗2階に併設してある「三休庵・宇治茶資料室」では、やはり歴史上の人物との書状や御茶壺道中のジオラマなどを通して上林家の茶の歴史を伝えている。ちなみに、三星園の登録商標地図記号における茶畑の由来という説がある。

最後に、これは武野紹鷗・千利休などを通して確立された「茶道」の話ではなく、時代の為政者との関わりの中でより質の高い宇治茶を提供し続けた「茶師」の話である。(完)f:id:shinsaku1234t501:20230304104413p:image