侍を語る記

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歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

臼井城 前編(千葉県佐倉市)

千葉県佐倉市臼井田 臼井城址公園

下総臼井城は、千葉常兼の三男 臼井六郎常康の築城とされるが定かではない。

文明10年(1478)12月10日の境根原合戦(千葉県柏市)で太田道灌・千葉自胤らに敗れた千葉孝胤は、臼井俊胤の居城 臼井城に籠城した。

千葉県柏市光ヶ丘団地 酒井根合戦場址説明板f:id:shinsaku1234t501:20180712185109j:image千葉県柏市光ヶ丘団地 酒井根合戦場址 首塚か?胴塚か?f:id:shinsaku1234t501:20180712185212j:image翌年、太田道灌・千葉自胤らは臼井城を包囲し、同年7月に攻略した。しかし、籠城軍の総攻撃を受けた道灌の弟(もしくは甥)にあたる太田資忠が戦死するという代償も生じた。

臼井城三ノ丸 太田資忠墓 f:id:shinsaku1234t501:20170529001311j:imageその後、足利義明小弓公方を称すると、当時の城主 臼井景胤(臼井俊胤嫡男)は千葉勝胤(千葉孝胤嫡男)と決別して足利義明に仕える。しかし、天文7年(1538)の第一次国府台合戦で義明が戦死したため、千葉勝胤への帰属を選ぶ羽目になった。

これで平和が到来したと思いきや、下総屈指の要衝に、またしても危機が到来する。と言うのも、永禄4年(1561)、里見義堯の家臣、正木信茂の来襲を受け落城の憂き目に遭うのである。

外祖父である原胤貞の元で傀儡の状態にあった臼井久胤(臼井景胤嫡男)は落城の混乱に紛れて脱出し、下総結城城の結城晴朝を頼る。それから数年後、第二次国府台合戦で正木信茂が戦死すると、その機を逃さず原胤貞が城を奪還するに至った。

臼井城本丸虎口土塁f:id:shinsaku1234t501:20170529002015j:imagef:id:shinsaku1234t501:20240223032815p:image