侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログ

演出の忠臣蔵と本音の赤穂事件 その3

実際、当時の大石の胸中は複雑極まりないものだったと推察される。例えば、赤穂藩改易が決定した時、大石がまず藩札の交換整理に着手している、という事実は、彼が誰よりも早く「お取り潰し」という現実を冷静に受け止めていた証拠となる。時代劇などでは、籠城派の大石と開城恭順派の大野九郎兵衛が対立構図で描かれることが多いが、大石の本音はむしろ大野の主張する現実論を十分に理解したところにあったと考えられる。

後世の我々は江戸時代を語る時、まるで藩と領民が一体化しているような感覚を抱きがちだが、多くの領民は領主と繋がっているのではなく、土地・風土の中にある。その証拠に武士層が藩主に殉じる生き方を選ぶ一方で、領民は新しい領主を迎えて今までの場所で以前通りの営みを続けていくのが常である。それが分かっていたからこその藩札交換整理であり、筆頭家老としての責任でもあった。

東京都千代田区千代田 江戸城址 松之大廊下跡碑f:id:shinsaku1234t501:20181020171914j:image一方で、赤穂開城時に収城使へお家再興を嘆願して以降、さまざまな形で運動を展開していく。「お取り潰し」の決定を耳にした時点で不可能と判断しながらも、その不可能を可能にすべく嘆願を続けていくのである。彼自身、矛盾した行動をとりながら、その虚しさや諦めを意識していたことだろう。しかし、筆頭家老の立場としては無駄と分かっていても進めなければいけない責任がある。