侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

演出の忠臣蔵と本音の赤穂事件 その2

愛知県西尾市吉良町岡山山王山 片岡山華蔵寺 吉良義央f:id:shinsaku1234t501:20180612211706j:imageそこで、また疑問に思うことがある。大石良雄の本当の狙いは吉良の首にあらず、片手落ちな裁決を下した幕府に対する挑戦だという、いかにもエンタテインメント的な味付けである。

果たして、そうだろうか。主君浅野長矩の即日断罪、しかも庭先での切腹、改易、長矩の弟長広を擁してのお家再興不許可、一方で吉良義央にはお咎めなし、というのは主君が引き起こした刃傷事件という不調法があるにせよ、大石からすれば踏んだり蹴ったりでしかない。

確かに、大石からすれば度重なる仕打ちともとれる幕府の処置には、ほぞを噛む思いがあったかもしれない。
しかし、これほどまでに仕打ちを受けた人間の心理として、そんな幕府相手にそれでも真摯な反省を求めるような一抹の期待を持って討ち入りをおこなうものだろうか。

むしろ、幕府に対して「目にもの見せてやる」と開き直って一矢報いるための実際行動に奔ったという見方なら、その追い詰められた心境は分からないでもない。それにしても、その影響で一家眷属に至るまで類が及ぶというリスクを考えると、亡き主君のための一途な忠義というのは、それほどまでに粘着力があるものだろうか。

現代人はエンタテイメントに感情移入するあまり、簡単に忠義の何たるかを理解したかのように言うが、自分がまさに当事者だったら家族と死に別れるかもしれない刹那的な生き方を選べる人はそんなにはいないだろう。そう考えた場合、四十七士というのは、当初の盟約から多くが脱落した結果の「たったの47人」と考えるべきかもしれない。一方で、何かしらの事情で脱盟した旧臣達を「不忠」とは一概には言えまい。

即ち、演出としての忠臣蔵とは参加しなかった人々を削ぎ落として討ち入った面々だけを忠臣に仕立てることで成立した戯曲である。f:id:shinsaku1234t501:20240223033152p:image