野口館址土塁とにかくネットなどを駆使しても、この館の歴史は分からない。
野口館址空堀一部では中世の土豪の居館という説があるが、史料等に基づくものではないようだ。
野口館址土塁さらなる不思議はその居館址に大垣城の鉄製の高麗門が明治9年(1876)に払い下げされたことである。
安積家の門として使用されていた頃の大垣城鉄門長きにわたり加納城の移築門とされていたが、平成21年(2009)にこの館址から現在地である中山道鵜沼宿町屋館に寄贈されるにあたって解体した際に、安政4年(1857)の大垣藩大工奉行支配の人名の墨書が発見されたことで、実は加納城ではなく、大垣城の本丸表門と判明した。
大垣城鉄門を撤去した現在の虎口石垣左側大垣城鉄門を撤去した現在の虎口石垣右側なお、中山道鵜沼宿町屋館に移築されるにあたって修復が施された。
岐阜県各務原市鵜沼西町1丁目 中山道鵜沼宿町屋館に移築された現在の大垣城鉄門ちなみに門扉や柱部分を鉄で覆った高麗門で現存するのは、名古屋城表二之門・大阪城大手門とこの大垣城鉄門だけである。