侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログ

嵯峨源氏と箕田館(埼玉県鴻巣市)

埼玉県鴻巣市箕田

氷川八幡社にある箕田碑 f:id:shinsaku1234t501:20170620183314j:image嵯峨天皇第十二皇子、源融陽成天皇光孝天皇に仕え、左大臣を歴任した嵯峨源氏融流の初代である。
その次男源昇も大納言となる。昇の次男源仕武蔵国司として赴任したのが当地である。(箕田源氏初代)
この仕の嫡男が武蔵権介の源宛(箕田源氏二代目)で、当地で生まれたことから箕田源次と名乗ったが、21歳で早逝した。
宛の嫡男は源綱(箕田源氏三代目)だが、父の早逝により、摂津源氏 多田満仲の娘婿である源敦の養子となった。それに伴い、摂津西成郡渡辺に移住したことから渡辺源次を名乗る。
この渡辺綱は、のち摂津源氏 源頼光に仕えて四天王と称され、大江山鬼退治や一条戻橋で鬼の腕を切り落としたという伝説の存在となる。
その時の太刀が「髭切り」であるのは有名。また、この話から「全国の渡辺(渡部)姓を名乗る人の所には節分の鬼がやって来ない」という伝承が生まれた。

氷川八幡社にある説明板f:id:shinsaku1234t501:20170620185105j:imageその子孫の摂津渡辺党は住吉付近で隠然たる勢力を保持し続けた。
綱の曾孫 渡辺久は松浦党として九州で活躍。
徳川家康の家臣で尾張藩付家老の渡辺守綱も子孫である。
なお、箕田二号墳は源仕夫妻の墓との伝承があり、宝持寺には源融から渡辺綱までの嵯峨源氏五代の供養塔が建立された。

箕田二号墳説明板f:id:shinsaku1234t501:20170620185204j:image箕田二号墳(伝 源仕夫妻墓)f:id:shinsaku1234t501:20170620185245j:imageその発起人として嵯峨源氏顕彰会や全国渡辺会が名を連ねているのは以上の理由からである。

曹傳山美源院宝持寺にある嵯峨源氏供養塔f:id:shinsaku1234t501:20170620185315j:image