侍を語る記

侍を語る記

歴史瓦版本舗伊勢屋が提供する「史跡と人物をリンクさせるブログ」

エッセイ

初めての会津 後編

そして、車座の話が終わり席に戻った時、私は大変なことに気づいた。隣りにいた義父は親戚の数人にお酌をした以外、ずっと独りで膳を囲んでいたのである。祖母や義母・私の家内が旧知の方々のお酌や場の仕切りに余念なく動き回り、私が無邪気に車座に溶け込…

初めての会津 前編

1年前のコロナ感染による長期の体調不良ゆえ、しばらく投稿できずにいる。それでも「何かを伝えなければ」と思い立ち、久しぶりの投稿を試みる。 平成13年(2001)の冬と記憶している。結婚してようやく1年を迎えた頃、家内の母方の祖父の十三回忌がおこなわ…

私論「下剋上・下克上」その5

翻って言えば、幕末における討幕運動の核となった長州・土佐・肥前などの雄藩は、関ヶ原合戦直後こそ減封や転封を経験しているが、江戸時代を通じて転封することなく領地との繋がりを育んだ結果、幕末には藩を挙げての兵力動員を実現することになる。 本来、…

私論「下剋上・下克上」その4

せっかくだから、江戸幕府を開いた徳川家康を源頼朝・足利尊氏らと比較してみたい。 確かに、三河における松平氏はそこそこ有力な家柄とは言えるが、その出自も明らかではなく、所詮は土豪の集合体における盟主程度であった。さらに今川家を奉ずる勢力と織田…

私論「下剋上・下克上」その2

⚫️平清盛や後醍醐天皇のように自身が政治をおこなうスタイルではなく、側近による政治機構を確立した。頼朝を始め鎌倉将軍家による独裁が思うように許されなかった反面、ブレーンによる権力掌握が活発化したと言える。有力御家人による合議制と言えば聞こえ…

私論「下剋上・下克上」その1

以下は「広辞苑」の記載内容である。 げ‐こく‐じょう【下剋上・下克上】 (「下、上に剋かつ」の意)下位の者が、上位の者の地位や権力をおかすこと。南北朝時代からの下層階級台頭の社会風潮をいい、室町中期から戦国時代にかけて特に激しくなった。太平記2…

意外と体育会系?・・・徳川家康 後編

さらに、家康は弓を取れば竹林派の石堂藤右衛門に師事して免許を取得した。そのおかげなのか、三方ヶ原合戦の敗走中、追いすがる武田兵数人を騎射で仕留めて逃げ切ったという。必死の形相で逃げただけではなく、実際に敵を討ち取りながらの敗走ゆえに、恐怖…

意外と体育会系?・・・徳川家康 前編

平成28年NHK大河ドラマ「真田丸」の序盤、伊賀越えのシーンにおいて内野聖陽氏扮する徳川家康が、滑稽なほどに怖気づいた表情に違和感を感じた。そこで、ネット検索したところ、全く同じ疑問を持った人がいた。 むしろ、家康は同時代の大名の中では武芸に優…

好き・嫌いの先の歴史観

歴史談義をする時に必ずつきまとう人物の好きと嫌い。人間、いちいちの事象に好き嫌いの感情があるのは仕方ないが、歴史を語る上でこれほど話の腰を折る面倒なものはない。 「家康が嫌い!」という言葉をよく聞く。それを聞くたびに「バカバカしい」と内心、…

オススメ! その1

自分で読み返しても随分と肩苦しい表現のブログだ!と反省する部分はあるが、閑話休題。 房野史典「笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳 戦国時代」(幻冬舎 刊)を紹介する。 筆者はお笑いコンビ「ブロードキャスト‼︎」のツッコミ担当とのことだが、…