侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログ

臼井城 前編(千葉県佐倉市)

千葉県佐倉市臼井田 臼井城址公園 下総臼井城は、千葉常兼の三男 臼井六郎常康の築城とされるが定かではない。 文明10年(1478)12月10日の境根原合戦(千葉県柏市)で太田道灌・千葉自胤らに敗れた千葉孝胤は、臼井俊胤の居城 臼井城に籠城した。 千葉県柏…

多部田城(千葉県千葉市若葉区)

千葉県千葉市若葉区多部田町 城主については定かではないので「千葉実録」など諸説を拾遺して紹介する。鎌倉時代、千葉常胤の四男である多部田四郎こと、大須賀胤信が地頭として在地したことから築城されたと推察される。 宝珠山最福寺 多部田城土塁戦国時代…

小牧長久手戦跡 上末城(愛知県小牧市)

愛知県小牧市上末 国道155号線沿いにある上末城址小牧長久手合戦の関係城砦を地図で俯瞰すると非常に分かりやすい。犬山城から南の小牧市方面に張り出すように展開する羽柴秀吉軍と小牧山城を中心とした織田信雄・徳川家康軍が犬山城に向けて備える。 上末城…

宍戸城(茨城県笠間市)

宍戸城は鎌倉・安土桃山・江戸に大きな転機を迎える。 宇都宮宗綱の四男である八田知家が、源義朝の没落と頼朝・頼家の幕府体制に歴仕する中で常陸守護職に任じられる。 笠間市平町 新善光寺址(中央右 八田知家墓、左 宍戸家政墓)長男の知重こと常陸小田氏…

豊臣家臣団 その30

大坂夏の陣の後日譚として、直後におこなわれた京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)破却が挙げられる。 後水尾天皇の勅許を得た家康は「正一位豊国大明神」という吉田神道の神号を剥奪したのみならず、神社及び豊国廟の破却に乗り出した。 滋賀県長浜市早崎…

豊臣家臣団 その29

そもそも、合戦や戦争はどちらも正義を主張して譲らないからこそ発生するものである。どちらかだけに絶対的正義があるという事例などほぼ無い。逆説的に言えることは、豊臣家臣団の盛衰を的確に把握するためには、むしろ敵方の家康、もしくは彼に与した豊臣…

豊臣家臣団 その28

さて、同時代を生きた徳川家康だが、ただ座っていたら棚からぼた餅が落ちてきたわけではない。信長との同盟を堅守し、信玄とともに旧主今川を滅ぼし、秀吉に楯突くことなく常に支え、豊臣家を滅ぼしたのちに朝廷・公家・寺社までも制した。そこには、忠義、…

豊臣家臣団 その27

その一方で、対する家康は実に汚い手段や権謀術数を用いてまで、着々と「存続しうる家」を作っていったのである。家康には、ありとあらゆる手を使って天下を簒奪したという悪いイメージが根強いが、それは裏を返せば乱世を統一するに必要な政略を有していた…

豊臣家臣団 その26

では、大坂方はどうあるべきだったのか。これはあくまでも私見である。 確かに、堅固な城郭と豊富な蓄財、天下人太閤秀吉というブランド力を頼りにするから、たとえ幕府を開いたとはいえ、徳川家とは別格の位置、いやむしろ上席の待遇にあって然るべしと考え…

豊臣家臣団 その25

しかし、これらの事実が、ともすると片桐且元の徳川内通説や織田有楽斎の徳川スパイ説となるのは、史料や彼らの立ち位置に基づいていないがゆえ、いささか本人たちが気の毒にさえ思える。むしろ、彼らこそお家存続の落とし所を探っていた最後の豊臣恩顧だっ…

豊臣家臣団 その24

また、淀殿の後見役として徳川家との和平を第一に考えていた慎重論者の織田長益こと有楽斎でさえ、夏の陣に突入していく主戦論の高まりの中で「もはや城内の誰も自分の意見を聞かない」と報告することで、家康の許可を得て大坂城を退去した。 家康の許可を得…

豊臣家臣団 その23

例えば、慶長19年(1614)、方広寺鐘銘事件が発生すると、釈明のため駿府に派遣された且元は家康に拝謁を許されず、後から派遣された大蔵卿が家康に歓待されたという有名なエピソードがある。ここだけ見ると、且元が交渉相手として軽く見られ、大蔵卿のほう…

豊臣家臣団 その22

さらには、豊臣家にあってもその踏み絵を踏んだ人物が2人いる。 徳川家の傘の下で豊臣家を存続すべく奔走し続けた片桐且元は、大坂方から裏切者として命を狙われた挙句、幕府軍に加わった。大坂冬の陣では三浦按針経由で幕府が入手した最新鋭の英国製カルバ…

豊臣家臣団 その21

唯一、馳せ参じた豊臣恩顧の動きを紹介するならば、増田長盛・盛次父子と言えるかもしれない。 愛知県稲沢市増田南町 八幡社 増田長盛邸址碑関ヶ原合戦において西軍に属したため、増田家は改易となり、長盛は高野山での蟄居を経て武蔵岩槻に配流、長男で庶子…

豊臣家臣団 その20

また、関ヶ原合戦で西軍寄りの動きをした蜂須賀家政に至っては、大坂方からの勧誘の使者に対して「無二の関東方」と称して断り、家康にその密書を提出するほどの旗幟鮮明ぶりを見せる。 薩摩の島津家久にしても大野治長から3回にわたって同心を要請されたが…

豊臣家臣団 その19

関ヶ原合戦からわずか3ヶ月後の12月19日、家康は以前に関白を歴任したことのある九条兼孝の関白再任を奏上した。秀吉・秀次と続いた豊臣家の関白職世襲のような雰囲気を打ち消す目的かもしれない。同時に、関ヶ原の勝者 家康が朝廷の任官において発言力を持…

豊臣家臣団 その18

【藤堂高虎】徳川家との血縁はないが、秀吉の生前から家康に接近していたことで、譜代大名に準ずる扱いを受けたのは有名である。秀忠の代になっても徳川家の忠誠は揺るがず、元和5年(1619)、徳川和子入内に関する「およつ御寮人事件」では徳川家の使者とし…

豊臣家臣団 その17

ここで、江戸初期における諸大名と徳川家の関係を列記する。 【福島正則】慶長4年(1599)、養子の正之が家康養女を娶る。また、正則も慶長9年(1604)、家康養女を継室に娶る。豊臣姓を名乗り、慶長16年(1611)、家康と秀頼の二条城会見を仲介したが、当日…

豊臣家臣団 その16

本戦において西軍の有力大名である毛利・島津・長宗我部らがほぼ動かず、宇喜多秀家や三成・大谷・小西らが奮戦したのに対し、東軍の主戦力も福島・浅野・黒田・長岡・藤堂など豊臣恩顧の武断派であった。西軍の三成ら文治派を制したのは、東軍に属した武断…

豊臣家臣団 その15

ともかくも、秀秋の参戦にさらなる勢いをつけたのが、松尾山麓に布陣していた脇坂安治である。最初から家康に従って会津上杉討伐に出陣するところを三成に阻まれてやむを得ず西軍に属した脇坂は、当初から山岡景友を通じて家康に弁明し、藤堂高虎を窓口とし…

豊臣家臣団 その14

前項でも述べた通り、西軍は尾張・三河の国境どころか、東濃から中濃まで制圧され、家康が大垣城を間近に見据える赤坂に本陣を構えたことで、西濃への進軍も許した。そして、慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦が勃発した。 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原 関…

豊臣家臣団 その13

もう少し史料などを参考にしながら、戦場が関ヶ原になった経緯を紹介する。 ●「大垣は城塁壮固、兵食皆足る。秀家少しと雖も暗者に非ざるなり。而して義弘・行長・正家・吉隆、心を一にし力を戮せて持重して出でず。これを攻むれば必ず我が兵を損ぜん。独り…

豊臣家臣団 その12

西軍の軍議において岡山本陣の襲撃が取り沙汰されていることを知ってか知らずか、家康は三成の居城 佐和山城の攻撃を決定する。不思議なことに、東軍によるこの佐和山城攻撃計画がいち早く三成の耳に入り、午後7時には大垣城を出陣することになる。いわば、…

豊臣家臣団 その11

8月23日、大垣城から岐阜城への援軍が出撃した場合に備えて後詰していた黒田長政・藤堂高虎・田中吉政らが岐阜城下に到着すると、もはや落城の様相を呈していた。 岐阜県岐阜市金華山天守閣 岐阜城復興天守そこで、手柄を求める彼らは独断で大垣城目指して進…

豊臣家臣団 その10

こうして、家康が武断派を上手く自陣営に取り込み、三成ら文治派への憎悪の念を利用した結果、村越直吉の一言に奮起した東軍は、8月21日に上流隊と下流隊の二手に分かれて清洲城を出陣することになった。 池田照政・その実弟の羽柴長吉(のちの池田長吉)・…

豊臣家臣団 その9

8月19日、家康の命で村越直吉が清洲城に到着した。江戸城に腰を落ち着けて出陣する気配すらない家康に不満を抱く諸将からの抗議に対して「敵方と戦端を開けば、江戸を出馬するだろう」と言い放った。 「茂助申し候は、御出馬有るまじくにてはなく候えども、…

豊臣家臣団 その8

「打倒三成」を合言葉に熱量を帯びた東軍に引き換え、密かに家康に通じる増田長盛・いきがかりで西軍に属すことになった島津義弘・家中分裂の後味が悪い宇喜多秀家・一族の意見統一が図られない毛利輝元、調略の手が深く入り込んだ小早川秀秋(のちの小早川…

豊臣家臣団 その7

また、三成は督戦という形で伏見城攻撃に姿を現しただけで、丹後田辺城・伊勢松坂城・同安濃津城・近江大津城などの攻城戦には関わっていない。そこには重要な共通点があるように思われる。 伏見城は鳥居元忠はじめ家康家臣が相手であるが、他の城はいずれも…

豊臣家臣団 その6

そもそも、豊臣家の一奉行でしかなかった三成が、毛利家や島津家の上に立って西軍を指揮するカリスマにはなれるはずもない。彼は豊臣家の忠実な吏僚の立場で誰よりも家康を警戒するがゆえに手を組むことを許さなかっただけである。 本来、石田三成・長束正家…

豊臣家臣団 その5

また、家康の密命を受けた柳生宗矩が、同じ大和出身の嶋清興(石田三成家臣)を調略すべく訪問した時の会話も「常山紀談」に所収されている。嶋左近は三成について語った。 「然るに去年より度々仕課すべき圖を空しく外し給ふ事多し。既に時を失ひぬ。能々世…