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侍を語る記

史跡と人物をリンクさせるブログです

意外と体育会系?・・・徳川家康 前編

平成28年NHK大河ドラマ「真田丸」の序盤、伊賀越えのシーンにおいて内野聖陽扮する徳川家康が、滑稽なほどに怖気づいた表情に違和感を感じた。そこで、ネット検索したところ、全く同じ疑問を持った人がいた。 むしろ、家康は同時代の大名の中では武芸に優れ…

松野氏館(埼玉県さいたま市見沼区)

宇都宮氏の支族で、武蔵に移住した松野助信がこの地に館を構えて太田道灌に仕える。(松野氏館) 松野氏館跡案内板子の助正は太田氏房の家臣として小田原征伐で浪人となるが、ほどなく家康旗本になる。子の資信が寛永2年に200石を賜って旧領であるこの地に陣…

十九首塚(静岡県掛川市)

静岡県掛川市十九首 十九首塚由来説明板天慶3年(940)2月14日、新皇を称して関東一円に君臨した平将門は、下総猿島の戦いにおいて戦死する。将門を討ち果たした俵藤太こと藤原秀郷は、将門とその家臣の首級を携え上洛の途につく。 その一行がこの地に差しか…

長者山城(茨城県水戸市)

茨城県水戸市渡里町 一盛長者伝説地碑 石碑側面に刻まれている説明や伝説を調べる限り、永保3年(1083)、陸奥守に叙任されて後三年の役が勃発した任地に向かう源義家が10万余の大軍を率いて当地に立ち寄り、一盛長者なる主人より歓待を受けた。後三年の役終…

赤坂見附(東京都千代田区)

東京都千代田区紀尾井町 赤坂見附御門石垣寛永13年(1636)、62の大名家に石垣、58の大名家に堀を担当させる形で飯田橋・四谷・赤坂・溜池の江戸城外堀普請がおこなわれた。 赤坂見附御門石垣寛永9年(1632)、栗山利章の訴えに端を発した筑前黒田騒動で改易…

野口館址(岐阜県各務原市)

岐阜県各務原市蘇原野口町 個人宅 野口館址土塁とにかくネットなどを駆使しても、この館の歴史は分からない。 野口館址空堀一部では中世の土豪の居館という説があるが、史料等に基づくものではないようだ。 野口館址土塁さらなる不思議はその居館址に大垣城…

前林城(千葉県成田市)

千葉県成田市前林字城山 妙見神社までの道筋には民家も点在するが、周辺の道はかなり狭い。妙見神社の鳥居が目印となり、その鎮座する場所も曲輪と言える。鳥居前の道を下りていく切通しのような鬱蒼とした道筋の左右には土塁や堀址と思われる竹林が残る。 …

好き・嫌いの先の歴史観

歴史談義をする時に必ずつきまとう人物の好きと嫌い。人間、いちいちの事象に好き嫌いの感情があるのは仕方ないが、歴史を語る上でこれほど話の腰を折る面倒なものはない。 「家康が嫌い!」という言葉をよく聞く。それを聞くたびに「バカバカしい」と内心、…

万喜城(千葉県いすみ市)

千葉県いすみ市万木字城山 万木城跡公園 万喜城遠望山麓にある機岳山海雄寺(左が土岐為頼墓、右が万木土岐家代々供養塔)万木土岐氏の系図には複数の説がある。 まずは頼元の子を為頼とする説。海雄寺の墓誌を実際に確認する限り、初代城主とされる明応元年…

真武根陣屋(千葉県木更津市)

千葉県木更津市請西 真武根陣屋址碑真武根陣屋こと請西藩陣屋は幕末好きにはおなじみの場所である。 信濃守護である小笠原清宗の子、林光政は足利持氏に仕えたのち、林郷(松本市里山辺)で隠棲していた頃に松平有親・親氏と出会った縁で三河野田に移住して松…

和田城 その2(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 土塁は幼稚園の園舎に沿って続く。土塁上部下に降りてみても、その高さは明らかに2mを超すだろう。幼稚園敷地内から見た土塁さらに、幼稚園の裏の住宅地から見ると、随分と高い垣根にしか見えない。実は、幼稚園の内と外では…

和田城 その1(千葉県我孫子市)

千葉県我孫子市布佐 わだ幼稚園 幼稚園敷地内にある土塁 ネット検索しても十中八九、「遺構は消滅」とされているが、ある1件のサイトだけが写真入りでこの遺構を紹介していた。場所はわだ幼稚園の敷地内、園舎の裏にある土塁である。 幼稚園入口付近から見た…

金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)

千葉県松戸市常盤平陣屋前 金ヶ作陣屋跡碑慶長19年(1614)に綿貫政家が家康より野馬奉行を拝命し世襲していることから、江戸初期に小金牧の原型が存在したことは明らかである。江戸にほど近い地域における馬の生産地として、幕府が直轄してきた歴史がある。…

浄真寺(茨城県土浦市)

茨城県土浦市立田町3丁目 光照山浄真寺 藤井松平信一供養塔(浄真院弁誉道雄専水大居士)十八松平の一つ、藤井松平家出身。藤井松平利長の嫡男で一貫して徳川家康の家臣。ちなみに、家康の祖父清康とは従兄弟にあたるが、年齢的には家康より4歳だけ年長。 …

越ヶ谷御殿(埼玉県越谷市)

埼玉県越谷市御殿町 元荒川に面した越ヶ谷御殿跡碑「徳川実記 」慶長九年是年の条に記述がある。 又埼玉郡增林村の御離館を越谷驛にうつされ、濱野藤右衞門某に勤番を仰付らる。(この御殿は明暦三年の災後江戸城に移されかりやに用らる。今も御殿跡といふ地…

野呂塚(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒前川原 野呂塚羽黒城址から少し離れた場所に、羽黒八幡林古戦場がある。写真の塚は羽黒小学校や羽黒八幡宮の東にある。 八幡林古戦場と野呂塚説明板天正12年(1584)、犬山城の羽柴秀吉軍と小牧山城の織田信雄・徳川家康連合軍の睨み合いは…

羽黒城(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒城屋敷 羽黒城跡説明板興禅寺裏手に隣接して羽黒城址がある。 昔は民家の路地から竹藪となっている土饅頭に分け入り、蜘蛛の巣を掻き分けて鬱蒼とした頂上に着くと、城址碑を撮影するにはフラッシュ撮影が絶対だったが、写真の通り、今はか…

オススメ! その1

自分で読み返しても随分と肩苦しい表現のブログだ!と反省する部分はあるが、ひとまず閑話休題。 房野史典「笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳 戦国時代」(幻冬舎 刊)を紹介する。 筆者はお笑いコンビ「ブロードキャスト‼︎」のツッコミ担当とのこ…

興禅寺(愛知県犬山市)

愛知県犬山市羽黒城屋敷 妙國山興禅寺 興禅寺山門脇にある開基梶原景時公碑鎌倉幕府の功臣、梶原景時を開基とする興禅寺には景時夫妻の供養塔、梶原氏一族の墓、その子孫で織田信長家臣となった景義(景久)と松平忠吉付家老として犬山城主になった小笠原吉…

嵯峨源氏と箕田館(埼玉県鴻巣市)

埼玉県鴻巣市箕田 氷川八幡社にある箕田碑嵯峨天皇第十二皇子、源融は陽成天皇・光孝天皇に仕え、左大臣を歴任した嵯峨源氏融流の初代である。その次男の昇も大納言となる。昇の次男の仕が武蔵国司として赴任したのが当地。(箕田源氏初代)この昇の嫡男が武蔵…

木田余城 その2(茨城県土浦市)

茨城県土浦市木田余 信太範宗墓案内板信太範宗・正室・嫡男の墓木田余城址と線路を隔てた反対側の住宅地には信太範宗・正室・嫡男紀八の墓(市指定史跡)がある。範宗が殺害された後、正室と嫡男の紀八は自殺したとある。 周辺の土塁と思われる高低差

木田余城 その1(茨城県土浦市)

茨城県土浦市木田余 木田余城跡説明板土浦城の項にもあるように信太氏の滅亡により土浦城の属城となった木田余城は、一時期、小田城を逐われた小田氏治が入城したこともある。天正6年(1578)、佐竹義重により落城の上、廃城となる。 江戸時代の土浦城主朽木…

土浦城 その5(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城本丸跡碑本丸は太鼓櫓門、東櫓、霞門、西櫓などで囲まれ、周囲に内堀が巡らされている。 霞門(現存)土浦城西櫓脇にある土屋神社(藩主土屋氏の氏神)内堀(北側)内堀(西側)

土浦城 その4(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城東櫓土浦城東櫓 西尾忠照が建てたが、復元され現在に至る。

土浦城 その3(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城西櫓脇にある信太範宗供養塔紀貞頼の家系から出た信太氏と菅谷氏は、ともに小田城の小田氏に仕えた。その信太氏滅亡には諸説ある。 1.天文23年(1554)、信太範宗は菅谷左衛門尉に誘殺された。 2.「菅谷伝記」では、信…

土浦城 その2(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城西櫓土浦城西櫓西尾忠照が建てたが、昭和24年(1949)のキティ台風で損傷、翌年解体し、平成3年(1991)に復元。 土浦城西櫓

土浦城 その1(茨城県土浦市)

茨城県土浦市中央1丁目 亀城公園 土浦城太鼓櫓門西尾忠照が楼門を正門とし、朽木稙綱が太鼓櫓門に改築して現存。 土浦城太鼓櫓門 【歴代城主一覧】 平将門(という説あり) 若泉三郎 若泉五郎右衛門 菅谷勝貞 信太範貞 菅谷政貞 菅谷範政 結城秀康(城代 多…